十五年ほど前

日記買ってもらった。青がよかったけどなかった。みどりにしようとしたらあおいに泣かれてきいろになった。
さいあく。


十年ほど前

父さんと母さんが死んだ。「お前のせいだ」ってあおいに言ってしまった。
「お前がきちんと鍵を閉めてなかったから」って。「母さんに、『窓までちゃんと締めておいてね』って言われただろう」って。
(”言われたのは俺だったのに。” と書かれていたらしい場所が、黒く塗りつぶされている。)


十年ほど前、別の日

あおいともう会えない。だまされた。だまされた。
いつだって会いに行けるって言ったのに。あおいが引き取られたしせつは、かんたんにはいけない場所だったし、いっても会わせてもらえない。とくべつなきょかがいるらしい。
大人はうそをつくことを、平気で正しいことにしてしまうからきらいだ。


三年前

伯母との縁を切った。
引き取ってくれた恩はあったが、やはり両親の遺産を食いつぶされたことと、葵を一人ぼっちにしたことが許せなかった。
……もとはといえば、俺が悪いのに。


三年前、別の日

葵に会おうと思った。会って謝ろうと。
そうして調べて、妹のいた施設が、二年前に潰れていたことを知った。


二年前

妹と再会した。奇跡だ!
妹が宗教にのめりこんでいた。鬱だ。


二年前、別の日

妹は俺を探してくれていた。「レテの平原」は、そんな妹の支援をしていたらしい。そこだけは感謝してもいい。
正直胡散臭くて仕方がない。妹と引きはがしたいところだが。


二年前、別の日

忘れていてくれたらよかったのに。
妹は未だ、自身が窓の鍵を開けたままにしていたのが悪いのだと、両親の死は自分のせいだと、自責を続けていた。
人の記憶は不確かなもので、嘘の出来事を繰り返し言われたり考えたりしているうちに、それがさも本当にあった出来事のように、記憶を塗り替えてしまうことがあるらしい。妹の場合も、きっとそれだ。

涙ながら懺悔する妹の言葉を聞きながら、自分が取り返しのつかない罪を犯してしまったことを悟った。

初めて神に縋った。
どうか私の罪を赦してくださいと。
葵は悪くない、彼女からどうか、嘘の記憶を無くしてやってください、と。

困ったときにだけ縋る俺に、助けてくれる神なんてものがあるはずもなくて。
葵に真実を明かすこともできなくて。
俺は。


二年前、別の日

妹が宗教に縋ったのも分かる気がする。盲目的に信じているさまは正直恐ろしい。けれど、それはきっと俺のせいだ。
俺も入信することにした。妹と一緒にいられるように。妹の見ている者を少しでも理解できるように。

「レテの平原」の人々は、唯々優しかった。こちらの話すことに耳を傾けてくれる。深入りはしてこないで、ただ聞いてくれている。その距離の取り方が、俺には心地よかった。
そういえば、ここにいる人たちは、何かしら負い目や傷を抱えている者が多い気がする。
だから彼らはレテの癒しを求めている。
たしかに。植物のように生きていけたら、どれだけ気楽だろう。
俺にレテの教えは分からない。説明されたところで共感ができない。しかし、それを救いとする者もいるのだろうと思う。その教えが誰かを救うことがあるのだと思う。

酷い偏見で見ていた自分が、今となっては恥ずかしい。


一年前

「レテの平原」で過ごすことにも慣れてきた。妹も、笑顔を見せてくれることが増えたように思う。それがただ嬉しい。
ずっとこの時が続くといい。


一年前、別の日

御使いに抜擢された。寝耳に水だった。喜びよりも、驚きや戸惑いの方が大きいのだが。
「レテの平原」に少しでも恩が返せればよいと思う。
ブローチのモチーフには、向日葵の花にしてもらえるよう頼んだ。俺と葵と、もう二度と離れ離れにならないように。ずっと一緒にいられるように。そんな思いを込めて。


一年前、別の日

思えば、違和感ははじめからあったのだ。ただ見て見ぬふりをしていただけで。
教団にさほど貢献していない人間が、突然御使いに抜擢されるなど不自然すぎる。

妹は身体を売っていた。
教団内での俺の立場が良くなるようにと、そういう働きかけ方をしていたらしい。

何故葵がそんなことをする理由があるのか。
問い詰めれば、こうなったのも自分の責任だからと答えた。葵は、俺に相当な負い目を感じているらしかった。違う、違う! そんなのは違う、だってそれは。本当なら俺が!

俺が制止をかけたところで、葵は己をすり減らすように、献身を続ける。

もう限界だった。
俺は両親の死の真実を、自身の嘘を明かすことにした。


一年前、別の日

妹に、自身の嘘を告白した。
しかし妹は信じなかった。自分が悪いのだという主張をやめない。
俺にどうしろというんだ。俺はどうしたらいいんだ。
俺はどうしたらよかったんだ。

すまない。
許してくれ葵。


今年

葵の嘘の記憶を消してくれ。
そう神に祈ったことがあった。それが叶うかもしれない。


今年、別の日

"レテの水"は本物だった。
ただこれは、任意の記憶だけを消せるような便利なものではない。また、原液では効果が強力過ぎる。
古い記憶ほど忘れさせるのが難しいようだ。新しい記憶や、その人にとって大切なことが忘れられやすいようだが。
葵の嘘の記憶を消すには、随分と昔の記憶まで諸共消さなければならないだろう。
……俺はまだ、葵に忘れられる覚悟はできない。
ひとまず、水の濃度調整の上手い御使いに、コツをきいてみることにする。


今年、別の日

人は神に「真理」や「正しさ」を求める。
だからその神が「本物」でなければ困るのだが、この“神”は、俺にとって本当に救いとなり得る存在だろうか?


今年、別の日

水の濃度調整の上手い御使いが、葵と長年懇意にしているという奴だった。
尋ねてもいない彼女のことをぺらぺら語られた。それこそ、教団に入る前の、施設での彼女の様子まで。
葵はこれを俺に知られたくなかったんじゃないか?


今年、別の日

水の濃度調整の上手い男。澤邑という名だ、覚えたぞ。
外面だけはいい男だ。死んでくれないだろうか。


今年、別の日

どうして誰も葵を助けようとしない?
これでは彼女が搾取されるばかりじゃないか。
俺が、俺が何とかしなければ。

どうしたらいいのか考えるほどに分からなくなる。
だって葵自身が、葵のことをゆるしてくれなさそうだから。




(以降、記述はない)